2013/02/01

産まれると言うこと 〜出生前診断〜



皆さんこんにちは〜。
展覧会の搬入まで1週間となり、テンパリ気味の三重からです。

さて、そんな慌ただしい今、あえて
去年書きかけだったブログをアップしたいと思います!
珍しく、ちょっとマジメブログです。
以前、不妊治療で妊娠されたご夫婦が、
出産までの150日をどうやって過ごして来られたか、
というドキュメンタリーを見ました。
先に感想を言ってしまうと、とてもいい番組でした。
とにかく無事に産まれてくれたらもう十分、という奥さんと、
我が子がダウン症である事を受け容れらないご主人。
ご主人は流産や堕胎を願っていた時期もあったと告白するシーンもあり、
妊娠、出産から1年しか経っていなかった私には、
とても生々しく、様々な事を考えさせらた内容でした。

これは私自身が妊娠中に感じた事ですが、
女性は自分のお腹に赤ちゃんが宿った以上、
よほどの事がなければ「産む」「産みたい」
という本能が働くような気がします。
お腹の子がダウン症だったら、何か病気だったら、と、
私も妊娠中に何度か想像してみましたが、
何度考えても、どんな子でも自分は愛せる、という
思いしか出てこず、自分でも驚いた事を覚えています。
我が家がなかなか子宝に恵まれなかったせいもあるかもしれませんし、
いざ診断が下ったらどう感じるか、それは自分でも分かりませんが、
いずれにせよ女性が「堕胎」すると言う事は、
産む事と同じ位、よほどの覚悟がなければ出来ないと
その時身をもって感じました。

今、この流れの中で心配なのは、
お腹の子がダウン症と分かった時点で(産む、産まないの選択をする前に)
特に子育ての中心となっていくであろうお母さんが、
「ダウン症」について知ったり、勉強出来たり、
何よりも、心の不安を相談出来る機関が十分に準備されずに、
検査が先行していくことです。
情報が少なければ少ないほど、お母さんは迷われるでしょうし、
決断した後に後悔してしまうかも知れません。
その時に力強く支えてくれる人が、ご家族以外にも必要だと感じます。
むしろ、周囲に心身共に支えてもらえる環境さえあれば、
体力的に辛くても頑張れる事はあると思います。

ダウン症だから堕胎する、というケースの裏には、
多かれ少なかれ、周囲からの無理解による反対もあると思います。
本来、皆に祝福してもらえる時期に、
自分や夫の家族から反対される事がどれほど辛いか、
想像しただけで寂しい気持ちになります。
そういう場合、多くは、
ダウン症の人達がどんな人達かを知らなかったり、
実際に関わった事がないというケースも多いように思います。
今の社会では、別々に生きている部分の方が多く、
彼らの事を知る機会があまりに少ないと思うので、
ダウン症の人たちについて知らない人が悪い訳ではありません。
でももし、周囲の人達がダウン症の人を知っていたら、
正しく理解していたら、と思わずにもいられません。

「産まれたらみんなで育てて行こうね。」
「今は安心して産む事だけを考えてね。」
「どんな可愛い顔か楽しみだね。」
傍でこんな声を掛けてくれる人達がいたら、
妊婦さんの不安はきっと少しは軽減されるでしょう。

最近アトリエは全国の医療関係者との出会いが多く、
昨年はお母さんへの告知を担当されている看護士さんが
東京アトリエまでご見学に見えました。
わざわざ金沢から飛行機で、お忙しい学会の合間を縫っての事でした。
こういった熱心で愛情深い先生方の存在は、
私達にとっても大きな励みとなります。
畑違いと知りつつも、
講演活動や、学会にお招きいただいた際に、
アトリエの活動をお伝えさせていただいている理由は、
お医者様から少しでもダウン症のお子さんを出産されたご家族に
プラスの情報も流して欲しい、という、まずはその思いです。
色々ありますが、まずはそこです。
立場上、言えない事も多くあるとは思いますが、
それでもお医者様だからこそ言ってあげられる言葉、
掛けてあげられる言葉も沢山あると思うのです。

米国では9割の人がダウン症と分かったら堕胎するそうですが、
ダウン症の中でも、無事産まれてくる事の出来る人はほんの僅かです。
その確率は、神様に選ばれて産まれて来た人たちと言ってもいいほどだそうです。
狭き門をくぐり抜けて来た人たちです。
アトリエで彼ら自身や、その作品に触れると、
「あなたは産まれて大丈夫。生きていく意味があるよ。」と、
自然界からの許しを得た人達だと感じる事が沢山あります。
そして、1000人に1人ダウン症の子供が産まれることで、
あんまり早い世界に、ちょっとブレーキを掛けてくれているような、
そんな気がします。

自分が出産をして改めて感じたのは、
この世に命を持って産まれてくると言う事は、
当たり前の様で、奇跡の連続だという事です。
なかなか妊娠しなかった時、つくづく、
命は人間が操作できる世界ではないんだな、と思い知りました。
産まれた子が重度のアレルギーと分かった時も、
やっぱり命は選べないんだな、と思いました。
どんな状況であれ、産んだからには育てるしかないですし、
誰もが誰かの力を借りて子育をしています。
ダウン症の赤ちゃんは、支えてもらう時期や内容が、
他の赤ちゃんと違うかも知れませんが、
命をみんなで大切に育てる、周囲にその気持ちさえあれば、
間違いなくみんなに愛される存在になると思います。

出生前診断については、
日頃、ダウン症の人たちの魅力を伝えている立場からすると、
やはり疑問を感じずにはいられない検査です。
それでも100歩譲って、
事前に産まれて来る子供がダウン症と分かる事で、
お母さんやお父さん、周囲の人が心の準備や具体的な準備を出来たり、
赤ちゃんの存在を祝福出来る環境になるのであれば、
それは大きな可能性にもなり得るとも感じます。
この問題に対し感情的になる事は建設的ではありませんが、
検査の是非だけが協議され、そこに関わる人達の
「心」が後回しにならない事を願います。

いま迷っている人や、苦しいと感じている人が、
自分の気持ちに素直な選択を出来る環境である事を願っています。
そしてダウン症のお子さんを出産された全ての方が
自信を持って子育てをされる事を願っています。
そしてアトリエ・エレマン・プレザンの活動が、
みんなの明るい希望となれたらいいな、
といつも思っています。

と、今日はちょいとマジメでした。
最後に目つきの悪い野良猫3トリオを〜。