2012/08/20

ダウンズタウン候補地 そして決断




皆さんこんにちは〜。
日中はまだまだ暑いですが、
夜は鈴虫の声が聞こえるようになりました。
ここ数日、空も高くなってきた気がします。
         
夕暮れ前「おお!」と、キレイな空を発見した瞬間、
首にカメラを下げ、小脇にユータを抱え、
階段を駆け上がって2階から写真を撮る日々です。
一瞬で景色が変わるので、家の中でダッシュ!


さてさて、
今日はちょっとマジメにダウンズタウンのお話です。

突然ですが、
ダウンズタウンプロジェクトの場所が決まりました。

三重県の伊勢志摩です。

そうです、そこは
アトリエ・エレマン・プレザン発祥の地であります。

このプロジェクトは多摩美の研究所と連動しているので、
ここに至るまでには様々な流れがありました。

プロジェクトを公にしてから、
色々な候補地のお話をいただきました。

山形、岡山、埼玉、富山、東京、千葉、沖ノ島、那須、沖縄etc

他にも、
ここにあったら素敵かも、参考になりそう、と思った場所は、
何年も前からジャンルを問わず、海外も含め手弁当で沢山見てきました。

ここにダウンズタウンが出来たらどうだろう?
みんなが安心して過ごせる環境だろうか?
地域の人々に受け入れてもらえるだろうか?
これまで支えて下さった方々、
これから応援して下さる方々も一緒に
楽しんでいただける環境だろうか?

どこかに無理がないだろうか?

この「どこかに無理がないこと」という感覚を
私は結構大切にしています。
それは決して努力を怠るという事ではなくて、
自分達の力を過大評価せず、
謙虚に、冷静に判断することにも通じます。

「問題」や「課題」は、努力と共に改善できる場合が多いですが、
ムリがある場合、どう頑張ってもうまくいかなくて、
時間だけが過ぎていく事が多かったり。
感覚的すぎるかも知れませんが、
これまでの少ない経験から、どこかに違和感を感じた時、
なんかコレ違うな、変な方向に行きそうだな、と感じた時には、
大胆に決断する事を恐れないことにしています。
でもいざという時に素早く決断する為には、
普段からそのことについて考えておかなければいけません。

そういう意味では、
ダウンズタウンの事はずっとずっと、
ちょっと大げさかもしれませんが、
私が最初に思い描いた高校生の頃から
イメージを温めてきたと言っても過言ではありません。

そしてここ数年は、
多くの方にご協力いただきながら、比較的具体的に、
様々な方向から考えてきました。
時に難しく、時に楽しい作業でもありました。


そしてアトリエが辿り着いた答え。
それが三重県の伊勢志摩エリアでした。

今となっては自然な流れに思えますが、
正直、最初は三重を視野に入れていませんでした。
私もサクマも、
東京のアトリエを少しでも心地よい場にする為に、
この11年間、一生懸命やってきました。
大好きな生徒達も、お世話になっている方々も東京に大勢います。
東京と行き来出来る範囲内、と考えるのが自然でした。

もうひとつの理由は、
志摩のアトリエは実家でもあるということ。
私だけの家ではなく、肇さん、敬子さん、そして妹にとって
大切なプライベートな場です。
そこをパブリックな場にしてしまう事には抵抗がありました。
私がダウンズタウンを作りたいからと言って、
勝手に候補地に入れる権利はないと考えていました。
これまで高校の寮や共働学舎で過ごした経験から、
共同生活の楽しさと同時に大変さを少しは知っているつもりです。
特に障害がある人たちとの共同生活は、
楽しくとも、絶えず緊張がつきものですから、
「ここでやってもいいよ。」と言ってくれる両親の言葉に
甘える訳にはいかない、と最後まで思っていました。

けれど都内はもちろん、関東近郊は土地も高く、
ダウンズタウンに着手するまでに相当な時間を要する事も
容易に想像がつきました。
条件がいいと思える土地のお話の裏には
なんだか怪しい話や人がついてきたり・・・。
色々と勉強させていただきました。


そうこうするうちに、
ちょっと不便でも、自然が豊かで、
私達の知った人がいる土地の方が、
ダウン症の人達にとっても安心できる環境なんじゃないか、
そう考えるようになりました。
都会の高くて狭くて利便性のいい土地は、
ダウンズタウンプロジェクトには向いていないな、と。

そんな矢先に3,11の震災。
個人的には妊娠発覚直後でもありました。

実は震災1ヶ月前にかなり候補に近い場所があったのですが、
そこも含め、関東近郊、東北方面の候補地は
放射能の影響も考え、選択肢から消さざるを得ませんでした。
仕方ないとは言え、一瞬にしてこれまでの考えや思いを
変えなくてはいけないばかりか、
地震の事も、原発の事も考えると、
これから日本で安全な場所なんてあるんだろうか?
と、プロジェクトに対して弱気になったりもしました。
責任を持てるのだろうか、と。

あれ以来、その思いはいつも心のどこかにありますが、
だからと言って「やめよう」とは思えません。
こんな時代だからこそ人々が希望を持てる場を作りたい、
むしろ、その思いは強くなったかも知れません。

ダウンズタウンのお話をすると、
すごく大きなものをイメージされる事があるのですが、
私が描いているのは小さくて、心の通った場です。

ダウン症の人たちや、そのご家族がいて、
その周りにはこれまた家族のようなスタッフ達がいて。
訪れた人たちがお茶を飲んでいたり、
作品を眺めていたり。
私の中で特別なことは何もないので、
「プロジェクト」と言うのが小恥ずかしい位です。


そんな場の実現の為に、
そろそろ動く時がきた気がしています。
三重に色々な素材が集まりだしています。
お料理で言えば、今は調理する前の下ごしらえをする人が必要な段階です。
今のところ言い出しっぺの私しかいません(笑)
となると、私が三重に行く事になります。

東京アトリエの事、自分たち家族の事をどうするか、
実はここ数ヶ月ずっと悩んでいました。
それでもいつかは決断しなくてはいけない、
いずれにしても家族が揃って東京を離れる事は難しいと判断し、
一足先に私とユータが三重入りする事に決めました。
9ヶ月の息子と父親が離れて生活する事は
3人にとって苦しい選択ですが、
環境のいいところで子育てが出来る、という部分に
希望を持って私達は踏ん張りどころです。

これまで様々な組織を見てきました。
トップの人が良い活動をしている反面、
自分の家庭を犠牲にしている場面を間近で見てきました。

仕事としてはそうせざるを得ない状況だったこと、
子どもにとって親は唯一であること、
失敗したら取り返しがつかなくなること、
どれも痛いほど分かっているだけに、今回の決断は迷いました。
子どもが出来たら私達はまず家庭を大切にしよう、
家族を大切に出来ない人が、人を大切に出来るはずがない、
と、言うのが私達の持論でした。
とは言え、それはあくまで理想論。
これまで私達夫婦が家庭を大切にしてきたかと言われれば、
簡単にはうなずけません。
何を置いてでも仕事を優先してきた私達のところに、
「このままでいいの?そろそろ家族の時間も大切にしたら?」
と教えてくれる為にユウタがやって来たのかも、
妊娠した時からそんな気がしています。

という訳で、そんなユウタ坊主を連れて、
来年から私は活動の拠点を三重に移します。

もちろん東京で展示やその他、
大忙しになった場合には手伝いに来ますし、
なんと言ってもサクマ親父がいるので、
ちょいちょい行き来する日々になります。

皆さん、ぜひ引き続き応援してください。


今日は長くてまとまりのないブログになりました。
読みにくかったらごめんなさいです。

お詫びに最後に三重の海女さん達が愛用している
改造マイカー(元ベビーカー)をご紹介しますねー。
これに採った若布やさざえやあわびを乗っけてお家に帰るんです。
確かにベビーカーは押しやすいですからね。
さすがや!

ではでは 皆さんよい週明けを〜。